そらもよう

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マイルールの見直し

2011年06月09日 · コメント(0) ·

先日師匠 池田貴将氏の本講座でルールと言葉の力について学んできました。

この『ルール』はスポーツのルールのように「○○したらいけない(反則)」とか「△△が起きたらこう判断する」というもので、人は誰でもその人独自のルールのもので日々行動・思考をしていると教わりました。

このルールは、私たち一人一人が今までの経験から学んできた、生き抜くための智慧でもあります。

単純なものでは「天気予報で降水確率が30%以上あったら傘を持っていく」なんかもそう。ちょっと複雑なものだと「目が合ったのに挨拶しないのは失礼!」とかもそうだし、「険悪な雰囲気を感じたら気づかないふりをして明るく振る舞う」とか「ちらちらこちらを見ながら内緒話をしているときは自分の悪口に違いない」とかもそう。ルールを”価値観や判断基準の根拠になるもの”と置き換えても良いかもしれません。

これらルールはこれまで生きていくために必要だったものなのでほぼ意識せず使っていますが、残念ながら必ずしも未来を幸せなものにするルールとは限らないのです。それらルールの根拠は過去にあるので、過去と現在・未来は同じ状況ではないからです。

やりたい!楽しみたい!と思っているのになにかやりにくさ、生きづらさを感じたらマイルールを見直すチャンスです。

今回師匠のセミナーで、わたしは人づきあいのマイルールがこれからのわたしにふさわしいものではないと気がつきました。 これらのルールは過去のわたしには必要でわたしを守ってくれるものだったけれど、状況も良い方に変わったし、スキルも上がった今、わたしを縛り付けて身動き取れないものになってしまってました。

下記自分語りをしますが、具体例だと思って下さいね^^;
もう10年以上前の出来事です。

当時わたしはものすごく精神的に弱っていて、自分よりずっと年上で親身に話を聴いてくれる人に依存してしまってました。1日おきくらいに悩みを書き綴った手紙を書いていました。読んでくれてるだけでよかったんです。でもしばらくしてからその人に「わたしはあなたの友達ではないのだから、こんな風に話を聴かされても困る」と言われてしまいました。

私はこのとき、相手の迷惑に気づかなかった自分を恥じると同時にとても傷つきました。裏切られたように感じていました。そして「誰かに頼り切ると自分の脚で立てなくなって怖い」「手に余って途中で切るくらいなら最初から関わらない」「誰かに親身になるときはその人が離れていくまで手を握り続けるべき」というルールを作りました。

当時自分の身を守るために作ったルールでしたが、状況が変わった今のわたしにはかえって窮屈なチャンスを潰すものになってしまっています。

このルールがあったために、気軽に人に話しかけて仲良くなるのがうまくできません。馴れ馴れしく話しかけてくる人も信用できません。わたしにとって仲良くなるというのは相手の人生に関わることで、責任と覚悟を伴うことだったからです。誰かに悩みを相談するのも苦手です。相手に依存してしまったり周りが見えなくなるのが怖かったからです。

わたしが自分を縛っていたルールに気づいたのは、こんな質問を自分になげかけてみたからです。

  • (気分が乗らない・うまくいかない事項について)それはどうあるべきものだと思ってる?
  • いつから、どういうきっかけでその<あるべき姿>ができた?
  • そのときから状況は変わってる?
  • 今でもそのルールがないと乗り切れないと思う?
  • そのルールのせいで起きてるデメリットってどんなことがある?
  • そのルールはこれからも有効にしたほうがよい?

けっこうこの質問はよいですよ(笑)
順に確認していって「あーもうこのルールはいらないや」って素直に思えましたから。

師匠のセミナーでは手放すルールが判明したあとは新しいルールづくりまでやるんですが、自分のルールの見直しをする場合はそこまでやらなくてもいいように思います。どうせ勝手にルールができていきますからね。時々状況に合っているかと将来も有効にするか見直していけば十分じゃないでしょうか。

師匠のセミナーに参加するたび、自分の思考パターンの見直しを迫られますが、どんどん身軽になっていく気がするのです。そして受講をやめられなくなる罠…(笑)

師匠のブログでもけっこう体験できると思うので、ぜひチェックしてみてください

アンソニーロビンズ「直伝」トレーナー池田貴将ブログ
http://ameblo.jp/ikedatakamasa/  (←別窓で開きます)

カテゴリー :思考
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